多様性を超えて。超高齢者社会を見据えた取組み

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介護コラム

林 久仁則 氏

身体教育家・
東京藝術大学非常勤講師

~ 「私がこだわる、高齢社会におけるコミュニティづくり」 ~

第一回目のコラムでは食と農業、情報に踊らされることのない羅針盤について、第二回目のコラムでは自然観に基づいた身体の育み方について私の考えを述べた。
最後となる第三回目のコラムでは、そうした取組みを実際の社会へ展開する際にどの様に落とし込むのかについて、自身の取組みや、尊敬する仲間の実践を含めてご紹介したい。

私は「人づくりは環境づくり」「経験が社会を構成していく」という社会構成主義の文脈に近いモットーを掲げている。
人の問題はいつも多層で多様な課題を抱えている。
個々人の行動選択は本人自らしか選べないし、事実の解釈も無限だ。

現代の超高齢社会において地域社会の在り方がどうあるべきか語り手は多い。
しかし実践が伴わないと絵に描いた餅となってしまう。
知っていることとやること」の間に横たわる溝は深い。
コミュニティづくりという漠とした輪郭ではなく、結局は人、我々自身がどういう行為を社会に働きかけているか。
意思の弱い部分を抱えた人間という存在を受け入れ容認しながら、どういう集団をどの様に形成するか。
超高齢社会を生きる我々自身が考えて実践していく必要がある。

いにしえの会」の定例会で講師をさせて頂いている。
この会は文京区に活動拠点をおいた、古武術に習う身体の動かし方を稽古する市民参加型コミュニティである。
参加者の皆様の想いと底抜けの明るさに支えられ活動4年目に突入している(日曜午前中から昼前まで、隔週で月2度実践)。
大変有難いことに多くの方が自主的に会の運営に協力をして頂いている。
運動教室、と聞くとインストラクターがスクール形式に向き合い、一方向性に情報や指示が行き交うイメージがあるが「いにしえの会」で目指すのは、市民参加型・主導型のコミュニティを特徴とする。
そこでは、出来る・出来ないということに参加者が囚われない運営を基本とし、楽しむことの主体・主役を参加する一人一人にしている。
年齢層も背景も多様な方々が、同じ方向に目線を向け活動していく。
相互に出来ることの範囲の中で協力や気遣いを示す。
人生の先達である参加者の皆さまと、知恵に溢れた取り組みを社会に根差していくのはとても遣り甲斐があり学びに溢れている。
「個」を乗り超えたところにこそ、本当の生きる喜びがあると、出来る限りの楽しい場づくりを通じて社会に示していきたい。

知人が運営するNPOメタボランティアという団体がある。
身体活動量を増やし消費カロリーを向上させ、その消費カロリーを通貨として換算し、社会課題の解決に繋がるチャリティー(寄付金)に連動させていく活動だ。
最近アプリを開発されて、誰でもどこでも、動いた分だけの消費カロリーを社会団体へ寄付できる仕組みとなっている。
このアプリの理念は「あなたが動けば、世界も動く」
素直に素晴らしいと感動している。

何であれ興味を持って活動を継続出来るかが健康寿命延伸の鍵であることは周知の事実である。
理屈として“運動が良い”と分かることは容易い。
しかし、ここにも「知るとやる」の間に横たわる溝がある。
どうすれば楽しみながら、ポジティブな変化を感じ、継続ドライバとなりうるのか。
健康のためという”健康病の押売り”では煙たがられる。
その人自身の楽しさや変化へ寄り添い、継続に繋がる仕組みと、それを実際のカタチにする具体化の働きが、もっともっと今の世には求められている。

自身の変化を認め励まし合う仲間がいるか。
コミュニティといえば響きは単純であるが、人と人が集まる場は単純ではない。
目的志向と他者や社会への貢献といった大義を掲げてこそ、人の心に灯る光が生まれる。
多様性ある超高齢社会であるからこそ、夢を持つ人が増え、その行動が継続されれば、その姿に後押しをされる人は必ずいる。
高齢社会であるからこそ、思い切りの良い「夢」や、青春まっただ中であるかのような「夢中」を感じられる「場」が必要であると思う。
そこに、高齢社会、多様な世代が立場を超えて、どう生きるかをひも解いていくヒントがある。そう信じてやまない。

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