自己決定を巡る葛藤の中で

私の担当する最終回では、当事者の自己決定をめぐり、支援の中で感じてきた葛藤を経て、

相談職6年目の今、考えていることをお伝えしたい。

 

地域包括支援センターで勤め始めた頃。

新人の私は、高齢者や家族から届く山のような相談に対し、入職時研修で学んだ「自己決定」を心に刻み相談に臨んだが、すぐに困る羽目になった。「自己決定してほしい」と私が勝手に考えても、「決められない」と言われる事が多かったから。

 

人は何らか、誰かに頼り頼られ生きている。家族を頼る人は多いが、隣近所や友人を頼る人、支援者が決めてくれと泣きつかれたこともあった。

そんな場面を積み重ねると、その内「自分で決めてください」と杓子定規に言えばよいのか、疑問が湧き始めた。無論、自身の介護方針を決めるのは一身専属の権利である。しかし、家族や近所の人など複雑な人間関係の中で、「自分の希望ではなく、家族(など他者)の希望」に見える事を、自らの希望として語る人を前に、「自己決定って深い沼だな」と感じた。

 

話は少しそれるが、私は当事者が自らの体験をセリフにし、舞台で演じる失語症演劇(長野県の劇団ぐるっと一座)の活動を長く応援している。

彼らは皆、失語症や高次脳機能障害の当事者だ。失語症演劇の稽古場では、自己決定をめぐる葛藤は日常茶飯事で、自分の体験から得た感情を言葉に出来るのは、自分自身でしかない。だから、役者(当事者)は皆、セリフと格闘する。言葉の障害ゆえ自分の気持ちにピッタリ合う表現が見つからず、稽古場で沈黙が続き、それでも自分の言葉で伝えたいと悩む。

そんな時、ピアサポートというか、周囲の仲間たちが言葉のうまく出ない当事者の自己決定を後押しする場面がよくあった。当事者だから分かる共感である。

そんな失語症者たちのことを思い出し、「1人で決めずとも、家族でも仲間でも、共同決定すればいい」とストンと腑に落ちた。

 

支援者の役割は、共同決定の塩梅を調整すること。

大切なのは、当事者自身の願いを前提に、本人が信頼する人(家族とは限らない)をも置き去りにしない共同決定。自己決定をめぐる葛藤をプラスにとらえ、共に悩んで決めていく。本人が誰かに判断を委ねるのではなく、その人の生き方を一緒に考えて後押しする存在は誰なのかを見極める目が支援者に必要ではないか?その先に初めて「本当の自己決定」があると思う。

 

介護は一筋縄でいかない。だからこそ面白い。

田村 周

  • 保土ヶ谷区基幹相談支援センター  相談員

社会福祉士・精神保健福祉士。

全国の先駆的な福祉事業や当事者活動をメディアで取材し、生活リハビリや障害者演劇、ピアカウンセリングなどの実践に触れた。

2015年から福祉業界へ転職。訪問介護や障害者グループホームなど在宅福祉の経験を積む。

2019年に相談職(地域包括支援センター)となり、2023年より現職。

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