たかが研修されど研修(福祉はこころ?)

介護コラム

谷口 泰司 氏

関西福祉大学社会福祉学部 教授

自身の専門領域の関係から、虐待防止等に関する研修の依頼を頂くことがあります。
お仕事の疲労が抜けない中、熱心に取り組まれる方々には頭がさがる思いです。

虐待を防止するためには、支援する側の環境整備をふくめ全般的な取り組みが必要となりますが、中でも、支援する相手方の心身特性等に関する知識や支援技術の向上に関する研修はとても重要かと思います。
ところで、これらの研修の際に、「福祉の支援で最も大事なものは何ですか?」とお聞きすると、比較的多くの方が「こころ」「相手への思いやり」と発言されます。
「こころ」の大事さを語る姿はとても頼もしく思うのですが、次の発言については、自身は同意することはできません。

「心さえあればいつかは通じる」

これは、比較的年配の方や、古くから福祉に携わられている管理職・施設長クラスで時に聞かれるものですが、自身は、この発言は、他の業種に対する最大の侮辱であり、また、福祉に関わる者の傲慢であると考えています。

例えばですが、わが国の製造業は、小さな町工場で作られる精密な部品が支えていると言われます。
そこでは、場合によっては相当にご高齢の方が日々のお仕事に携われておられますが、これらの方々は、ご自身のお仕事に「心を込めて」向き合っておられるはずです。
では、心さえあれば、外国の部品に負けないものを作ることができるのかというと、そんなことはありえません。
極めて高い技術を「心を込めて」注ぎ込むからこそ、精密な部品を作ることができるわけです。
つまり、「福祉“は”こころ」でもなんでもなく、「福祉“も”こころ」であり、こころは福祉の専売特許でも何でもありません。
であるからこそ、「心を込めて」相手に接するという当然の姿勢のうえで、質の高い支援のるための知識・技術の習得が大事になります。
この意味で、研修は、たかが研修ではなく、されど研修として意味を持つと考えられます。

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