介舟ファミリー
介護ソフト・障害者福祉ソフト
赤ちゃんから高齢者まで、また文化や言語の異なる人々など、私たちが暮らす地域には実に多様な“ちがい”が存在しています。私が関わる子育て支援の現場でも、乳幼児の発達や成長は一人ひとり異なり、それに応じたケアもまた異なります。その時々に感じる“快”や“不快”も当然ながら違います。
だからこそ、ケアをマネジメントする立場の人には、一人ひとりの状況を知る努力が求められます。介護支援の担当者には「介護」の話しかされず、子育て支援の担当者には「子育て」の話しかされない──そんな場面を多く見てきました。話されないのではなく、「それを言っても仕方がない」と思われているのです。
しかし、たとえば子育てと介護を同時に担う“ダブルケア”のような状況では、それらを切り離して考えることはできません。介護と子育てが複雑に絡み合って、困りごとが起きているのです。だからこそ、マネジメントする側から「あなたのことを知りたい」「教えてください」と声をかけることが大切です。ケアの対象が違っていても、ケアはつながっている。ケアの入り口が違っていても、重なり合っている。そういう視点が求められています。
相談者やケア対象者にとって、「この人なら相談してもいい」と思える相手と出会うことは、とても大きな意味を持ちます。それでも、話すことは簡単ではありません。人には心があり、それぞれの人生のキャリアがあり、幸せの価値観も、“快”や“不快”の感じ方も違うのです。その“ちがい”に思いを寄せ、ケアの一つひとつを本人が選択できるように、あるいは「選ばない」という選択にも寄り添いながら、私たちは伴走していく必要があります。
伴走者は、その時々で変わっていくものです。しかし、多様な伴走者がいることで、人生はより豊かになると私は思っています。
「あるケア・制度・支援に、その人の生活を当てはめる」のではなく、「その人の生活に合ったケア・制度・支援を選ぶ」ことで、はじめてその選択に意味と価値が生まれます。
伴走支援は決して効率的ではありません。しかし、その時間を“形だけ”の支援にしてしまうと、支援や制度があっても利用につながらず、むしろ人や支援から離れてしまう結果を招くこともあります。
“ケアを受け入れる”という時間は、ケアを「共同の営み」へと変化させていきます。支援する人/される人という一方的な関係ではなく、自分自身が選び取った“ケアの形”として再構築されていくのです。それが、やがて「その人のケアのキャリア」となり、その人らしい生活を豊かにしていくのではないでしょうか。
福祉の質とは、制度や仕組みの整備だけではありません。その人の人生そのものに、意味と温かさを添える営みであると、私は思います。
支援に行き詰まったときの“原点回帰”とは…
尊厳ある1人ひとりにかかわる上で必要なことは何かを考えよう
目の前にいる人のことを知ろうよ!
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