介舟ファミリー
介護ソフト・障害者福祉ソフト
数十年前、遠い昔の話だ。
寛さん〔仮名〕はいつも窓際の席でぼんやり煙草を吹かしていた。
通りがかった僕に「ちょっと来い」と命令する。僕は、忙しいのでという言い訳を口にするが、お前の愚らない人生に忙しい事なんかあるもんか、といきなり全否定だ。
書類を抱えながら溜息をこぼしつつ彼のそばに座る。若い看護師が訪れ、煙草は身体に悪いですよと苦言を呈する。
身体に悪いと死ぬのかと寛さんは僕に尋ねる。たぶん健康には良くないでしょうね、と答える僕に、死んだら吸えないのだから生きているうちに吸えと滅茶苦茶なことを云って煙草を一本差し出す。
一服した僕の顔を眺めて美味いか?と尋ねる。美味いですよ、もちろん。そう云う僕に満面の笑みを浮かべて、そうだ、それでいい。と満足げに微笑む。僕は苦笑しながらライターで彼の煙草の先に灯を点けた。
煙草が悪いと誰が決めたと寛さんは不機嫌だ。さあ、誰でしょうね?其処の所はよく分かりません。
わしらが若い時分には煙草を吹かすのが大人になった証拠だった。皆得意げに煙草を吹かしたもんだ。戦時中も戦後間もない頃も煙草は貴重品だったからな。寛さんは呟き紫の煙を吐いた。
召集令状が来てな。いきなり長崎に連れて行かれたんだ。
海軍に入隊した。当時沖縄の連中は方言のなまりがひどくてな、お前等、日本語も話せないのかと上官にこっぴどくやられたよ。
外出の日でも憲兵がうるさかった。翌朝、酒の匂いがする奴は上官に死ぬほど殴られたもんだ。
お前等酒を飲んでどうやって国を守れるのかってな。酷い所だったよ。
終戦を迎えたのも長崎だった。今日から諸君は民間人と一緒だ、と。飛び上がるくらい嬉しかったな。飛行機が無かったから船で宮古島に帰った。波止場には村中の人々が集まって出迎えてくれた。嬉しかったね。
酒を飲んで煙草を吹かした、思い存分な。誰かが三線を弾いて歌ったよ。「なりやまあやぐ」だ。島の歌だ。懐かしかったね。
寛さんはケースから三線を引っ張り出し僕に手渡した。弾け。お前は本当にどうしようもなく愚らない男だがどうしたわけか三線の腕前だけは生意気に一丁前だ。僕は楽器を手にして調弦を始めた。
ところで今は何月だ?そう云って寛さんは黙り込み目を閉じた。煙草の先が灰になり、ぽとり、と落ちた。
調弦をすませて僕は「なりやまあやぐ」を歌った。三線を弾きながら僕はぼんやり考えた。寛さんの生きてきた時代。
彼は何を守り何を失ったのか?どうして彼はいつも一人きりで窓際の席で相も変わらず煙草を吹かすのか。彼は此処に来て果たして幸せだったのだろうか?彼はどうして長い人生をかけて此処に辿り着いたのか?
僕が声をかけると、うるさい、と呟いた。何を考えているんですか?と尋ねると、昔のことを思い出しているんだ。無粋な奴だと目を開けた。
世間は平和か?そうでもないですよ。そうか。昔もそうだった。気をつけろ。僕等は並んで煙草を吹かし続けた。
窓の外の世界に煙がゆらゆらと舞った。皆いなくなったよ。十分気をつけろ。煙がゆらゆらと踊った。まるで何処かの国の様に。
寛さんと僕の昔の話。彼がいなくなった今でも思い出す遠い昔のデイサービスの話。彼は果たして幸せだったのだろうか?
南の島沖縄のデイサービスありあけの里に介護福祉士として勤務して24年。
沖縄の土着の楽器三線やギターを使って沖縄民謡、古典、童謡・唱歌、懐メロなどをお年寄りの皆さんと合唱して楽しむ音楽利用をメインに日々泣き笑いの日々を送っています。
「Halelea」の意味はハワイ語で「幸せの家」と言います。
「気づき」のチカラ その2
「日常」何を意識するか?
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