高齢者の社会的養護 - ケアを社会のまんなかへ

2025年、私たちは一つの岐路に立っている。かつて「家族」が担ってきた高齢者のケアが、社会構造の変化によって崩れ去ろうとしている。独居高齢者の増加、ケア人材の不足、そして制度の限界――これらは個別の問題ではなく、社会全体が直面する課題である。

 

シリーズの第一回で取り上げたのは、「誰が歯ブラシを届けるのか」という問いだった。制度の隙間に落ち込む「名もなきケア」が、現場ではケアマネジャーの無報酬の努力によって支えられている現状がある。だが、それが持続可能ではないことは明らかだ。

第二回では、「人は老計10号のみにて生くるにあらず」と題し、人が豊かに生きるうえで必要なケアの広がりに目を向けた。外出、会話、文化的営み――それらは制度が捉える「自立支援」には含まれないが、人として生きるには欠かせない要素である。

 

そして最終回となる今回は、「高齢者の社会的養護」をテーマとしたい。本来「社会的養護」とは、保護者のいない児童や、保護者に監護させることが適当でない児童を、公的責任で養育することである。その理念には「子どもの最善の利益」と「社会全体で子どもを育む」という視点がある。

この理念を、いま私たちは高齢者のケアに重ねて考える必要があるのではないか。家族という基盤が失われつつある中で、高齢者が尊厳をもって生きていくには、個人や家族だけでは支えきれないケアを、社会が「公的責任」として引き受ける覚悟が求められている。つまり、高齢者のケアにも、社会的養護が必要な時代が来たのだ。

 

社会的養護とは、単に施設での保護を意味するのではない。むしろその対極にある。孤立を防ぎ、「名もなきケア」を可視化し、それを制度として受け止めていく仕組みのことである。買い物の付き添い、病院への送迎、新しい服を買う、記念日を祝う――家族が担ってきたこれらの役割を、今後は社会が共有し、保障する必要がある。

こうした考え方は、今まで家族に扶養を委ねてきた社会の在り方から、大きく転換するものである。しかし、急激な人口減少と単独世帯の増加が進む今、もはや避けては通れない。高齢者のケアを「権利」として捉え、子どもと同様に遍く(あまねく)社会全体で守るという視座を持たねばならない。

 

高齢者ケアはもはや個人の問題でも、家族の問題でもない。それは集団的責任として私たち全員が担うべきものである。名もなきケアを制度に包摂し、誰もが人間らしく老いを迎えられる社会へ。いまこそ、「ケアを社会のまんなかに」据えるときなのだ。

小薮 基司

  • 横浜市すすき野地域ケアプラザ 所長

中央大学経済学部卒業

社会福祉法人 若竹大寿会 横浜市すすき野地域ケアプラザ 所長

一般社団法人神奈川県介護支援専門員協会 副理事長

社会福祉士・介護福祉士・主任介護支援専門員

【連載】月刊ケアマネジャー「ケアラー支援で必須の知識とスキル」(2023年度)中央法規

【分担執筆】ケアマネ実務の道具箱 中央法規

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