僕は7歳の頃から介護を受けています。最初の介護は母による階段の上り下りでした。
正確には赤子の時、すでに母から介護は受けていましたね。
11歳からの十年間は、療養所で看護婦さん、保母さん、指導員、養護学校の先生たちからきめ細かい介護を受けていました。
その後もホスピス型介護施設、短期入院による一般病院、在宅診療へと続き、今も変わらず手厚い介護を受けています。
それぞれ、その場所ならではの「しきたり」がありました。
介護の質を僕が語ることなどできないほど、皆さん、血の通った介護で生を支えてくださいました。
13歳の時、僕は生とは何かを深く考え始めました。
同部屋の一年後輩が冬休みの帰省を最後に帰らぬ人となったからです。
その時、初めて子供なりに療養所に入所した理由を肌で感じました。同時に今まで身体的に弱い立場の仲間に対して、自分がいかに差別的で配慮のない行動や言動を繰り返したことかを思い知りました。
それ以降、一番弱い立場の仲間を中心に物事を考えたり、行動するようになりました。
先輩やその恩師たちが引き継いできた伝統のような流れにのって。
病院のベッド上でテレビやラジオ、音楽CDしか楽しめない仲間がいれば、口述筆記をして原稿にまとめ、機関紙に記事を掲載して参加する喜びを味わってもらいました。
夜中に聞きたいラジオ番組があれば、代わりにその時刻に録音をして楽しんでもらいました。
他にも様々なこと、今でいうメールのような役割を引き受けたり、僕ができることをさせてもらいました。また介護施設でも同様に。
いま、その頃の仲間と同じ立場になりました。昔と変わらず、いいえ、その頃以上にきめ細かく手厚い介護を受けています。
僕が仲間にしてきたことはもう機械がすべてカバーしてくれています。それを使って、まだまだ誰かの役に立つことができるかもしれません。
これからも仲間のために捧げたことは正しかったと思い続けられる気がします。自分のしてきたことに後悔が少ないからです。
今までの経験を支えに、心から介護のありがたさを胸に刻み、進んで生きたいと思います。
〈おわりに〉
いま、日本で「自分らしさ」や「自分ごとのように接する」ことを真にリードしているのは皆さんです。
僕はこれからも皆さんの日々の努力をいただいている当事者の一人として、多くの方に介護の現場で感じたことを伝えていきたいと思います。
最後になりましたが、介護の質をテーマに三回のコラムを書く機会を与えてくださいました株式会社日本コンピューターコンサルタント様、そして最後までお読みくださった皆様に心よりお礼申し上げます。
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