介護保険制度が導入される前、保健師一年目の私は、地域で高齢者の相談支援に向き合っていました。
行政保健師として就職した当時は、老人保健法に基づき、市町村主体による寝たきり高齢者への訪問調査と保健指導が行われており、保健師が地区担当制のもと、65歳以上の高齢者宅を一軒一軒訪問していました。この訪問は、単なる実態把握ではなく、地域の課題を抽出し、民生委員など地域住民と協働して地域づくりを進めるという、保健師にとって重要な役割を担うものでした。
そんな中、私は担当地区の高齢者宅を訪問しながら、介護者支援の限界に直面します。
当時は、介護を他者に委ねるという意識がまだ根付いておらず、認知症への理解も十分ではありませんでした。家族による在宅介護は、過重な負担を強いられる現実がありました。
あるご家庭では、医師から「認知症の進行を防ぐには歩かせるべき」と言われたことで、「歩かせなければ進行する。進行すれば自分の責任だ」と自責の念に駆られる介護者がいました。
徘徊する高齢者の散歩に付き添う高齢の介護者は、腰が曲がり、体力も低下しているにもかかわらず、日々その責務を果たそうと必死でした。
私は、そんな介護者の血圧を測り、お話を聞くことしかできず、「自分は本当に役に立てているのだろうか」と無力感を抱えていました。訪問看護や短期入所など、提案できるサービスも限られ利用を希望しない介護者にせめてできることとして、地域の民生委員と連携し、介護者の状況を共有しながら、負担にならない見守り体制と連絡体制を築くことに努めました。それでも介護者は、保健師の訪問を心待ちにしてくれていました。ある日、私は思い切って尋ねました。
「血圧を測ってお話を聞くだけの私は、役に立てていますか?」 すると介護者は、涙ながらにこう話してくれました。
「私をいつも気にかけて、家に来てくれる。誰にも話せなかった介護や徘徊のことをそっと聞いてくれる。そして自分の身体を心配してくれる…それだけで十分なんだ」と。
その言葉は、私にとって忘れがたいものとなりました。
介護者の畑で採れた夏みかんを一緒に食べながら、夏から冬へと移りゆく季節をともに過ごすなかで、認知症高齢者が目の前で異食などの急変を起こしました。介護者は腰を抜かし、ついに介護を他者に委ねる決断をしました。
これは、制度やサービスがまだ整っていなかった時代の支援活動の一例です。
しかし、たった一人で介護を抱え込む閉ざされた状況から、信頼のなかで胸の内を語り、他者に助けを求められるようになる…その一歩を支えることも、支援の本質ではないでしょうか。 制度やサービスが整っても、、苦しみや負担に寄り添い、信頼関係を築き、伴走支援するこうした“心の支援”が果たす役割は、決して小さくないと感じています。
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