当たり前の「権利」について

もともと社会福祉の用語で、 障がい者や高齢者といった生活上困難さを持つ方などに対して特別視せずに、誰もが社会の一員であるといった捉え方をする「ノーマライゼーション」。

「標準化」「正常化」という意味があり、それまで特別に行われていたものを一般化していくという考え方を示すそうだ。

私の尊敬する大先輩は、「ノーマルでないことを、ノーマルにすること」と説明されていて、とてもしっくりきた思い出がある。

基本的人権は人が生まれながらに持ち、誰からも侵されない権利とされ、自由権、平等権、社会権、参政権に分けられているが、加えて、個人が人間としての幸福を追求する権利である「幸福追求権」というものもある。

本来どのような障がいがあろうと、高齢であろうと、そうではない市民と同等の生活と権利が保障されなければならない。

 

私が携わる精神医療保健福祉の領域では、残念ながらまだまだ特別なことが多い。「精神障がい」だから仕方ないのだろうか。

あるいは、「高齢で認知機能が落ちているから」、「ここのルールはこうだから」、などなど仕方のない理由など上げればキリもなくなる。

ある程度、取り巻く環境等に応じて合わせないといけないことは特別なことでなくどんな人も等しく一般的とも思うのだが、とはいえ、圧倒的にあるべき「権利」が奪われてしまうことはノーマルとは思えない。

 

善し悪しを語りたいのではなく、我々が日々行っていることは「誰にでも同じように説明がつくことかどうか」は常に意識したいものだと考えている。

先日、職場で権利擁護について話し合った際、皆が、明確な虐待や権利侵害ではなく、そこにつながる可能性を否定し切れないグレーな対応や関わりがあるのではないかに言及し意見を交わす姿が見られ、いい職員が集ってくれていることをあらためて嬉しく感じた。

多様な方が、その特性や状態、環境などに応じてではあるが、その方なりの幸福を追求する権利を少なくとも一方的に損なうことの無いような支援者でありたいと思う。

平良 幸司

  • 横浜市保土ケ谷区精神障害者生活支援センター 所長

精神保健福祉士として、精神科病院→生活支援センター→生活訓練事業所での現場経験を経て、現職へ。

主に精神障がいのある方々やそのご家族への相談・生活支援と、誰もが住みよい地域づくりについて、関係機関等と協働して取り組んでいる。

関連して、一般社団法人日本メンタルヘルスピアサポート専門員研修機構理事補佐としても活動中。

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