メメント・モリ(死を想え)

前二稿においてデイサービスでの場面の幾つかをご紹介してきた。ここでは沖縄という地域・風土・歴史に関してはどうしても触れておかなければならない事象について考察をしようと思う。

沖縄においてどうしても念頭に置かなければならない事に、戦争・芸能がある。沖縄は唯一地上戦が行われた島だ。

多くの哀しい別れがあり死が訪れた。知人・親族・家族・友人・親兄弟そうして子供たち。島は焦土と化し本土復帰までの決して短くはない時を要した。飢えと貧困の中で、だがしかし諸先輩方は決して諦めることはなかった。米軍の捨てた缶詰めの空き缶で手製のカンカラ三線を創り歌を歌って踊りを舞った。連綿と続く芸能の息吹を絶やすことなく後世の我々に残してくれた。

 

その行為は多くの犠牲を乗り越えようとした個人としてのグリーフワークであり沖縄社会全体としてのグリーフワークであった。

そのような歴史・想いを共有することは高齢者領域における支援にとって根幹をなすものである。

そのような事が分からなかった駆け出しの頃、僕はギターで懐メロや童謡唱歌を弾いて音楽利用を試みた。けれども大半のセッションが上手くいかなかった。口ずさんで下さる利用者も幾人かいらっしゃったが基本的には様子を伺っている様な感じだった。

 

そんな折、たまたま手にした三線を触っていると「あんた弾けるのか」と皆興味津々だった。

悪戯で「ていんさぐの花」を弾くと皆、大きな声で歌い始めた。僕は古典の研究所を探し発声・弾き方・琉歌の意味を学んでいった。いつしかギターを触る代わりに三線を手にする事が増えた。セッションの終わりに即興で速弾きを弾くと立ち上がって踊り出す方も現れた。皆、手にパーランクや三板などの沖縄の打楽器を携えて嬉しそうにリズムを刻む。しばらくすると僕と一緒に三線を演奏する方々も一人ずつ増えていった。

 

高齢者領域においては使用楽器はギターやキーボードではなく、魂と血に働きかけるのは土着の楽器なのだとまざまざと見せつけられた瞬間だった。売れてる歌手でも、はやり歌でも、クラシックでもなかったのだ。

その背景にはやはり歴史的な意味合いにおけるグリーフワークとしての音楽利用の側面がある。歌い・踊ることで傷ついた魂を再生させ昇華させている。そんな印象を強く受けるのだ。

音楽利用に関しては技術的な側面として、選曲・調の設定・速度・使用楽器の選定などがある。けれどもそれ以上に大切なことは利用者が暮らしてきた歴史的背景・想い・喪失感に想いを馳せ、失われた死を想い傾聴することで本来的なニーズ、そうして魂の再生、認知症上・疾病により失った社会性の再獲得を目指すことだろうと想う。

 

ある方は誰とも話すことを拒絶し一人きりで窓際の席で諦めたようにぼんやりとしている。

ある方は郷愁の中のもう無くなってしまった実家を想い帰りたいと口にする。

けれども彼らの傍らでそっと三線を弾くと懐かしい表情をなさる。もはや楽器すらも必要ない。入浴拒否で不穏な方に歌を歌いながら語りかけると一緒に落ち着いて口ずさんだりもする。

現場の場面は多様だ。その一手段として音楽利用に取り組んできた。そうして、いちばん大切なことは傾聴し共感性を持ち合わせること。

高齢領域における時代・文化的背景に想いを馳せること。失われた命。旅立たれる命にそっと寄り添うことだと想う。

「死の対極に常に生が存在する。」メメント・モリ(死を想え)

平良 勝彦

連載一覧
  • 社会福祉法人沖縄コロニー 特別養護老人ホームありあけの里 介護福祉士

南の島沖縄のデイサービスありあけの里に介護福祉士として勤務して24年。

沖縄の土着の楽器三線やギターを使って沖縄民謡、古典、童謡・唱歌、懐メロなどをお年寄りの皆さんと合唱して楽しむ音楽利用をメインに日々泣き笑いの日々を送っています。

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