前回のコラムで私は、シニアライフにおける国からの指針に対し、(ビジネス的には相反するにも関わらず)高齢者の当事者意識をもって「大きなお世話だ!」と言い放った社長の話を紹介しました。
今回は「当事者意識」について、編集者として考えていることをもう少しお伝えしたいと思います。
「妙好人(みょうこうにん)」とは、主に浄土真宗で信仰の篤い一般庶民をたたえた呼称だそうです。
そんな名もなき妙好人がのこしたとされる
「子ども叱るな 来た道だもの 年寄り笑うな 行く道だもの」
という言葉があります。
文字通りの意味ですが、この至極シンプルな言葉が時代を超える「教訓」として私たちの心に刺さるのは、子どもでない自分が子どもの立場になること、また年寄りでない自分が年寄りの立場になることが、いかにむずかしいかということを示しているからでしょう。
「その人の立場になれ」と人から叱責に近い助言をされてしまうことがあります。
そんなとき私は、自分の迂闊な言動などを恥じ入るばかりです。しかし、そもそも人は自分以外の人の立場になれるものでしょうか?
私は「なれない」と思っています。 言葉遊びのようですが、だからこそ「その人の立場になれ」という助言が生きるのだと思います。
私が編集する広報誌の分野は、保健衛生、社会保険、介護、福祉、防災、防犯など多岐にわたり、対象読者も高齢者、若者、子ども、女性、生活困窮者、生活習慣病予備群、被災者、被害者などさまざまです。
そうした冊子をつくるとき、私は「読者(その人)の立場になろう」と意識しながら編集しています。
とはいえ私は、高齢者でも若者でも子どもでも女性でもなく、各分野の「その人の立場になれているか」と厳密に問われれば、YESと胸を張ることはできないのです。
それでもいいと思っています。安易な同調は透けて見え、逆に信頼を失うでしょう。
また、新しい法律や制度などを周知・啓発するためには、当事者だけでなく第三者的な視点も必要な場合が少なくないからです。
たとえば、高齢者虐待をテーマにした冊子を制作するときの当事者意識について。
高齢者虐待の加害者の多くは、(断罪しやすい犯罪者ではなく)介護に疲れた家族です。
さらに、心ならずも虐待してしまう家族に遠慮して、高齢者自身が虐待の被害を訴えるどころか隠すため、問題が表面化しにくいという構図もあります。
このような場合、編集者に求められる当事者意識は、被害者で救済が必要な高齢者と、加害者で支援が必要な家族という正反対の2つに別れ、どちらか一方の視点に偏ると問題は解決しません。
そして、追い詰められている高齢者や家族とは別に、救済や支援の提案ができる行政機関などの第三者的な視点も重要となるでしょう。
編集者が(もしかしたら介護や福祉の現場で働いでおられる人も)当事者意識として大切にすべきことは、読者(その人)に同化することではなく、(決して容易ではありませんが、忙しい日常でつい忘れてしまう)当事者に「近づき寄り添う意識」を「忘れない」ことではないかと自戒を込めて思います。
1分で登録できる
まずは無料体験をお試しください!